道路整備の現場で働く80歳過ぎのおじいさん

自宅から最寄りの駅に行く途中の道が今道路整備をしている。必ず、80歳を越えたおじいさんが立って、こんな事を言っている。「毎度ご迷惑をお掛けしてすいません!」と通りかかる人達に言っている。彼の仕事は、道を使っている人たちへの謝罪である。この行為と仕事は海外で見たことがない日本独特のものではないかと思う。

80歳を越えても仕事をしているおじいさんは素晴らしいと思う。やっている仕事は、人間でなくても良いのではと思うのだが、そんな人が現場にいる、いないで相当印象が違う。 

年齢相応の仕事

70歳までは何とか体力的に働ける高齢者が多いのではと思う。特に女性は80歳過ぎでも働いている人が多いようだ。飲食や清掃業界でシニア女性が目立っている。私が住む集合住宅では、管理会社が依頼している清掃業務の会社から派遣されているシニア女性が多い。住宅内の草むしりなどをやっている。なぜか、シニア男性が少ないのが気になるが。

70歳を過ぎても健康で元気なシニア男性ならば、 

  • 保育士支援
  • マンション管理業務
  • スーパーのカート収集業務
  • ファストフード店員
  • ペットボトルのおまけ付け軽作業
  • 衣類の仕分けシール貼り軽作業!
  • 文具品の仕分け箱詰め出荷軽作業!
  • DM封入・宅配物の仕分け軽作業!
  • 倉庫内での仕分け作業や畑での収穫作業
  • おもちゃ等の日用品のピッキング

検索で探すとアルバイトや日雇いで上記のような仕事が表示される。

仕事として魅力的なものが少ないのは避けようもないが、少なくとも働くことが出来る。色々な仕事を楽しむという意味合いでは余生を楽しむ遊びになるだろう。金銭的に酷く困っていなければ、今まで経験したことがない仕事を味わうことで何か人生で感じることが生まれるのではないか。

もっと仕事の内容でやりがいを感じる仕事を探すならば、NPO団体に所属してその中で自分の思いが満たされる仕事をする、または、自分で自営を始めるしか無いだろう。

第三者が提供する仕事は、誰もがやりたいという仕事ではない。例外は、専門領域の仕事だ。翻訳、通訳、営業など自分のキャリアが生きる分野でないと旨味がある仕事は見つからない。

生き甲斐の視点をガラリと変えるとつまらないと思っていた仕事が新鮮に見えるかもしれない。特定の目的を果たすためにこの仕事とあの仕事を経験しないとできないという設計があるとつまらない仕事も大きな意味と価値を持ち始める。 

ただ、自分の時間と労力をお金に変えるだけの目的であるならば、生き甲斐などは感じないだろう。お金だけでは寂しい時間の使い方だ。いつ死ぬかどうかも分からない年齢に成っている高齢者の時間ほど貴重な時間はない。出来るならば、意味ある時間の使い方をしたいと思うはずだ。 

生きて何かを社会でやっていることで自分自身の生存理由を示す事が出来れば、意味がある生き方になると私は思っている。 

自宅で、外出先で何も目的無しで時間をもて遊んでいる余生を悔やむならば何でも良いから仕事をやり始めることだ。時給などは気にせずに働きながら自分の人生の意味を考える。孤独よりも仲間がいる仕事場の方が気が楽になるのではないか。私はそう思っている。