子供が大人になり自分たちの人生を歩み出すと家には、私たち夫婦だけになる。妻は、既に地域に根ざした友人、知人の交流ネットワークを築いている。一方、旦那は会社から糸を解き放された凧になっている。住んでいる地域にすぐになじめない旦那たちは、外に居場所を求め始める。
何をするにしても妻を味方にしないと老後の生活は楽しくない!
子供が大人になり自分たちの人生を歩み出すと家には、私たち夫婦だけになる。妻は、既に地域に根ざした友人、知人の交流ネットワークを築いている。一方、旦那は会社から糸を解き放された凧になっている。住んでいる地域にすぐになじめない旦那たちは、外に居場所を求め始める。
何をするにしても妻を味方にしないと老後の生活は楽しくない!
現実に起きている変化は、必ずしも自分にとって都合の良い物ばかりではない。高齢者としての生活でもビジネスを展開している経営者でも現実に起きている変化には逆らえない!これに逆らうと精神的なストレスが増して体調を崩す。酷いケースでは、鬱病になる。
人生は、紙飛行機!365日いつも空を飛んでいられる訳がない。時には、地上に着陸して翼を休ませる必要もある。
一般的に60歳から65歳までは、仕事を探そうと思えば何とか探せる年齢だ。多くは、人がいやがる仕事が多いが。後は、パートか、アルバイトの仕事になる。快適な仕事ではないが、我慢すれば何とか65歳まで雇用される機会が多い。
問題は、 65歳以降だ。多くのシニアの生活は、年金収入と資産運用でなんとかしようとなる。健康な人は、パートやアルバイトで生活費を稼ぐ。70歳以降も同じような仕事が続けられるだけの体力と健康が維持できれば年金プラスの収入で経済的な余裕と安心を得られる。
私の知人に代々からの資産家の家族がいる。彼らの生活は質素そのものの生活だ。テレビ番組できらびやかにお金持ち生活を紹介する芸能人を見ると本当の理由は貧乏であったからなのだろう。そのため、お金持ちぶっているのではないかと疑いたくなる。賢い資産家は、自分がお金持ちである事を外部に極力見せない。普通の人のように生活も行動も振る舞う。賢いからだ!
テレビ番組でお金持ち(成金の人たち)を紹介するが昔からの資産家はお金の匂いを極力させない生活と行動をしている。いかにもお金持ちとテレビでは見せているが、借金をしてお金持ち振る舞いをしている人もいるだろう。世間体を気にする芸能人が多い。
昔からのお金持ちはお金の大切さを肌で知っているのでお金の使い方を知っている。彼らは、お金をうまくコントロールしている。成金は、お金にコントロールされている。
50歳頃から加齢臭を感じさせる出来事があった。まさか、自分が加齢臭の発生源とは思ってもいなかった。 加齢臭という言葉自体も認識していなかったからだ。加齢臭は、老人だけだと思っていた。50歳から加齢臭とは!
多分、その人の体質にもよるのだろう。汗かきや肉好きな人は、加齢臭が出やすいという。 私は汗かきだ。食事をした後はすぐに体が温かくなり汗が出やすくなる。
若者は、年老いて行く自分の両親の人生を見ている。自分もいつか親のように年老いて行くと思っている。親の老後の生活は、自分が高齢者になったときのお手本になる。
自分の親がいつまでも元気で生き生きしている生活をしていれば、その姿を自分の老後に描き出す。老いていく親は、子供にお金、土地や資産をあげるのではなく、老後のお手本を教えるべきだ。誰もが老人になる。老人になったときに何をして生きて行けば悔いのない余生を送れるか、親は子供に教えた方が良いだろう。
昨日のNHKニュースで80歳を越えた老人男性が年金生活で生活が出来ないため、生活保護を受けていた。住んでいる賃貸住宅が高くなったのでもっと安い賃貸アパートを捜したが、年齢で全て断られたという。大家の不安は、孤独死による物件資産価値が落ちることだ。
大都市に集まる高齢者の問題は、住居と生活費だ。なぜ、地方にある安い賃貸住宅を捜さないのだろうか。いつも疑問だ。
75歳の高齢者が歩いている後ろ姿を見て体から出るエネルギーを感じられなかった。体が徐々に枯れて行っていくような弱々しい体付きだ。当然、個人差はある。何かに熱中してアクティブに動き回っている75歳の方ならば、こんな感じは受けないだろう。75歳は、後期高齢者というラベルが貼られる年齢だ。
一方で65歳のシニアは、弱々しさを感じる事が無い。まだ、まだ、何かをやれるという印象がある。
自分の人生を振り返ると色々な節目で自分の選択をしている。その決断が他人に言われてしている場合と自分の本意でしている場合で後悔が生まれる、生まれないに別れる。本当は、あの道を歩いて行きたかったのだが周りに押されてこの道にしてしまったとかだ。
私が自分の欲望で決断し、実行した節目は、高校卒業の時に大学へ進学するか、他の道を選択するかであった。私はあの当時英語に狂っていた。日本の大学よりも米国の大学に留学をしたかった。
だが、
英語力が不十分であったため、英語の専門学校に2年間通って米国州立大学に留学する計画を立てた。同級生は、私の決断に驚いていた。なぜ、大学ではなく専門学校に行くのかと。私だけが専門学校に進学した。高校の成績は普通であったのでそこそこの大学に進学できる実力があった。
大学よりも専門学校という選択は、自分が求めた初めての選択であった。今までは、親の助言や先生の進言に従った人生であった。
若い頃は子育てのための生活費を稼ぐという特命が私たち夫婦に課されていた。子供の教育費と住宅ローンが重く、経済的負担が大きかった。子供が社会人になって巣立ちをする頃には、教育費も住宅ローンも負担が少なくなり、自分たちの老後生活のためのお金が貯められる。その段階が、今の私たち夫婦だ。
子供の教育と住宅ローン負担で長年貯めてきた資金が枯渇した。マイナスではないが、老後の生活で発生する費用を考えると大分足りない。私たち夫婦のような家庭は、一般的ではないか。60歳代はまだ若い。仕事を選ばなければ、お金を稼げる年代だ。
老後の生活を夫婦でどのように過ごしたいか?これがはっきり見えているとその目標に向かって舵を取れる。