精神的な忍耐力を失いつつある高齢者

ちょっと体が不調になると精神的な不安とそれを耐える力、忍耐力が欠け始めているのに気がつく。肉体的な忍耐力もそうだが、精神的な忍耐力が落ちてきていることを非常に心配している。典型的な例は、幼児の叫び声だ。Cafeでノマドワーカーの仕事をしているとき、幼児を連れた母親たちがやってくる。幼児は大人しくしていない。からなず、叫び声を出す。

叫び声の響きが耐え難い時がしばしばある。若い時は、無視できたが60歳を越えると心の中で、「なぜ、この母親たちはCafeに幼児を連れて来て会話に夢中になるのか!」という怒りに変わる。

幼児や子供の泣き叫びは彼らの仕事なのだが・・・

幼児や子供の泣き叫び声は響きやすい。母親に危険を知らせ易くするために生まれつき持っている機能だ。幼児や子供に怒りをぶつけても仕方がないが、母親たちのマナーが問題だ。他のお客さんがいる場所で必要以上の騒ぎを子供にさせているマナーが怒りに通じる。

私のおすすめは、Cafeでテイクアウトして近くの公園に行って会話を楽しむことだ。子供は広い公園で放し飼い。子供にとってもそのほうが良い。教養とマナーを知る母親たちは、ほとんどがテイクアウトしていく。テイクアウトしないでカフェにいる場合は、子供がやかましくなると同時にカフェを後にする。

私の言い分は、忍耐力が落ちた老人の言い訳に聞こえるのではないかと感じている。

今、ギックリ腰で体が不自由になっている。あと数日で普通の生活が出来るようになるのは長年のぎっくり腰経験でわかっているが、不自由な体に怒りをぶつけている。立ち上がるたびに劇痛が体に走る。立ち上がって歩くときにぎっくり腰の患部をかばうような歩き方になる。

体の忍耐力が落ちていると同時に精神的な忍耐力も落ちているのがぎっくり腰でわかる。忍耐力が落ちるとすぐに頭に血が上る。老人は年齢とともに自由が効かなくなるために短気になりやすい。子供に戻る。ワガママが通用しなくなると怒りだすのと同じだ。自分の都合を優先してしまう。

本来ならば、自分が置かれた立場や環境を観察分析しながら問題に対応すべきなのだが、感情が先に出てしまう。冷静さを失いやすいメンタリティーになってしまった。ちょっとしたことで頭に来る自分のメンタリティーに驚く。歳を取れば取るほど老人は今まで出来たことができなくなる。

精神的な忍耐力も今まで耐えられていたのにもう耐えれなくなって感情が顔や声に出てしまうのだ。そんな自分の姿を後になって反省する時が多い。

私の問題は、冷静に考えればすぐに対処できる問題なのだがそれが頭に浮かんでこなかったのだ。ノマドワーカーとしてカフェという場所を仕事場にしている。静かな場所で仕事をすれば良いではないかと反論されるのはわかっている。ノマドワーカーにとってカフェは非常に都合が良いのだ。飲食が出来てWi-Fiがあり、トイレもある。コーヒー1杯で数時間は使える。

幼児や子供の叫び声はイアフォンを耳に入れて音楽を聞いていれば避けられる。問題をうまく避ける手立てを知っていれば、感情的にならないで冷静な行動が取れるのだ。問題を冷静に解決する力や知恵を持っていれば、老人がワガママな子供のように暴走しない。