なぜ、感受性が豊かな女性は魅力的なのか?

私の家内は羨ましいほど感受性が高い。一寸の事で喜んだり、笑ったり、嬉しかったり、驚いたりする。私は、同じことでも何も感じない。いつも、なぜだろうかと思っている。

生まれつきの性格、性質、DNAが影響していると思うのだが、喜怒哀楽を自由にうまく表現できない。感情表現が豊かな女性はすごく魅力的に見える。私が米国の大学に留学した一つの動機も感情表現が豊かな米国人のライフスタイルにある。気軽にハローと声をかけて話しかけてくる。

表現が豊かな米国女性の顔や声は、学生時代の私にとって憧れであった。

人間の魅力はどこにあるのか?

日本人は学校教育で規律を叩き込まれてきた。自由に自分を表現することを奨励されていなかった。自分の感情を抑える事が美徳のように感じさせる周りの雰囲気があった。米国での留学生活では、その反動で自由奔放に自己表現が出来る米国人の生活を学ぼうとした。

彼らは社交性がある。知らない人でも気軽に話しかけてくる。あたかも無二の親友であるかのように親しく話しかけてくる。話しかけられた私は、どう反応したら良いか分からなかった。日本の生活では、一寸あり得ない。

郷に入っては郷に従え!のことわざに従い、米国の生活に慣れて来ると徐々に気楽に話しかけられても戸惑う事が無くなった。私もあんな米国人のような性格や社交性を身に付けられたらどんなに幸せかと。

キャンパス内を歩いている時にすれ違う女学生と目が合う。相手の女性は、目が合うと直ぐにスマイルしてくれる。私も直ぐにスマイルする。この感覚がすごく幸せ感を与えてくれる。同じことを帰国後、日本では経験していない。

通勤時に目が合った若い女性は、スマイルどころか顔を横に向けて無視して歩き過ぎて行った。このギャップに逆カルチャーショックを受けた。

62歳になって日本での生活が長くなると感情表現が米国留学前の元の自分に戻った感じだ。そんな私の渇望を満たしてくれるのが家内である。彼女は日本人であるが米国人のような感情表現が普通に出来る。一寸一緒にいるだけで笑いが飛び出す。英語表現でいえば、 ”It is fun to be with you!"  と言い出したくなる。

私に無いものを持っている家内は、私にとって宝である。お金では買えない性格だ。誰も物まねが出来ない。日本人女性ではない印象がいつもしている。若い頃、私は知らないうちにそんな女性を探し求めていたのかもしれない。

感受性が高い人は、幸せを感じる感度がすごく良い。それがいつも羨ましい。

歳を取っても感受性が高い女性は、今も魅力的だ。感情はロボットや人工知能に無い要素だ。人間でしか味わえない。一緒にいて楽しくなるならば、お金を出しても一緒にいたいと思う人が沢山いるはずだ。ひょっとしたら、シニアの魅力を高めるには、そんなところを開拓すれば良いのかもしれない。