マンションのリフォーム:壁紙とカーペットの張替え

マンションに住み始めて22年が経過した。壁紙にカビが出始めてフロアーが擦り切れてくる。22年も住んでいればマンションのリフォームも必要になる。リフォームをしたくてもお金が十分ないと出来ない。将来、今住んでいるマンションをどうするかでリフォームの程度も変わる。隣人は、定年退職金で老後の生活にあった全面リフォームをやり始めた。

私にとってまだ先の事が分からないので本当に必要な部分だけのプチリフォームを検討している。大きなお金が出せない懐事情があるからだ。 

なぜ、シニアには新しい変化と刺激が必要なのか?

シニアには新しい刺激が必要である。味わったことがない刺激は、シニアの感受性を高める。慣れ親しんだ環境からの刺激は刺激になっていない。押し寄せる変化で自分の生活を変えるよりも自分で変化を作るほうが楽しいはずだ。

シニアの老後は社会との接点が少なくなるので自然と静かな隠居生活になりがちになる。静かで刺激がない生活はつまらない。元気で動ける間は与えられた時間と体を楽しむために使いたい。組織から離れた日常はやることを自分で作らないと「暇に殺される」という運命になる。

体と脳は常に使わないと老化でガタがくる。体を定期的に動かすことを止めると体全体が硬くなり、関節の動きも悪くなる。気が付かないうちに体の動きで柔軟性が欠けてくる。脳も同様に考えることが少なくなると受身的な情報処理で終わり、脳を刺激することが少なくなる。認知症はこんな状態になった時に発症する。

自分の生活に刺激を意図的に与えるには自主的に新しいことを始めることである。未経験の事を体験すると体も脳も興奮する。新鮮な刺激が体全体に響き渡る。そんな刺激を作れると与えられた余生を有意義に使えるようになる。

シニア女性を若く見せるには?

先ほど相鉄電車から降りて横浜駅近くのスタバに着いた。頭の中には、若い女性の服装がさわやかであったことが余韻として残っている。若さは美貌であるが、その美貌をもっと魅力的にする服装と色彩がある。65歳のシニアでもそれを感じる。世の中には色々な印象を与えてくれる女性がいる。どんなに顔や容貌が奇麗でも心に残らない女性がいる。美人でなくても何故か印象強く記憶に残る女性もいる。

若い女性はファッションに敏感だ。中高年やシニア女性もファッションに敏感であると思うのだが、日本の女性は老いて来ると何故か地味な色彩や服装になる。 私はそれが残念でならない。

大学生時代を米国の州立大学で過ごした。週末には、キャンパスの周辺にある浜辺まで散歩する。浜辺に出る途中で素敵な住居を何軒も見つける。引退生活に入っている老夫婦たちがお庭の掃除や花壇に咲いた花の世話をしている。花壇に咲いた花の色に調和するような目立つ色彩の服装が印象に残っている。日本ではちょっと見かけない。

米国人は原色好きだ。自分たちを若く見せるために目立つ色の服装を着る。それが自然の色にうまく調和しているのに驚く。

老後の喜びを何に求めるのか?

65歳で年金をもらうことを待ち遠しく思っているシニアは多いと思う。働かなくてもお金が定期的に銀行口座に振り込まれる。シニアにとって年金は不労所得的な収入だ。問題は、金額が生活する上で足りない事だけだ。足りない金額は、働いて稼ぐしかない。働くにしても年齢と健康の壁がある。将来は、収入面でバラ色ではない。

この世で生きている限り人生を楽にしてくれない。 限りある時間で自分なりに余生を楽しむことをする必要がある。ただ時間に流されて生きて行く生活ほど「価値ある時間」を無駄にする。

65歳以降の時間の使い方は、全て自分自身に託される。残りの人生で何に喜びを感じるかは、今からやることで変わってくる。何もしなかったら何も楽しめない。これは確かだ。喜びを感じたい、楽しい時間を過ごしたいと思ったら、その方向でアクションを取るしかない。

子供が巣立った後の夫婦生活は、どのように変わるのか?

子供が二人大人になって独立をした。自宅には、子供が使っていた2部屋が空いた。夕食は、夫婦二人になった。いつも騒がしい次男が一人で生活をし始めたら、家の中がシ~ンとなっていた。会話がいつも夫婦二人の会話になった。子供が巣立つとこうなるんだと。

隣人の夫婦も私たち同様に子供が巣立って行った。家内経由で話を聞くと会話がないという。長年一緒に生活をしてきた夫婦であるためか、会話らしい会話が生まれてこないという。

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