なぜ、シニアには新しい変化と刺激が必要なのか?

シニアには新しい刺激が必要である。味わったことがない刺激は、シニアの感受性を高める。慣れ親しんだ環境からの刺激は刺激になっていない。押し寄せる変化で自分の生活を変えるよりも自分で変化を作るほうが楽しいはずだ。

シニアの老後は社会との接点が少なくなるので自然と静かな隠居生活になりがちになる。静かで刺激がない生活はつまらない。元気で動ける間は与えられた時間と体を楽しむために使いたい。組織から離れた日常はやることを自分で作らないと「暇に殺される」という運命になる。

体と脳は常に使わないと老化でガタがくる。体を定期的に動かすことを止めると体全体が硬くなり、関節の動きも悪くなる。気が付かないうちに体の動きで柔軟性が欠けてくる。脳も同様に考えることが少なくなると受身的な情報処理で終わり、脳を刺激することが少なくなる。認知症はこんな状態になった時に発症する。

自分の生活に刺激を意図的に与えるには自主的に新しいことを始めることである。未経験の事を体験すると体も脳も興奮する。新鮮な刺激が体全体に響き渡る。そんな刺激を作れると与えられた余生を有意義に使えるようになる。

時代は絶えず変化して新しい生活をもたらす

私にとって新鮮な刺激は、今までにやったことがないビジネスを始めることである。新しいビジネスを始めると新しいことを学び始める。それが一番刺激になる。同時に、新しい環境に自分の身を置くことで環境からの刺激を頂く。

新しい事を始めるためのアイデア探し

新しいことをするためのアイデア探しは身近のところに落ちている場合が多い。私が参画しているNPO団体で新しい事業が始まった。国内の中小企業を支援する販売促進のポータルサイトを構築してウエブで販促する。

既に私が構築した海外支援ポータルサイトのシステムを流用して新しく国内支援ポータルサイトを私が作った。案件が入るたびに私がページ作成をする。大きな売上にはならないが、小銭を稼げる。その上、自分のスキルが活かせる。お金よりも自分の特技を仕事で活かせるほうが楽しい。

自分の生活周辺で起きた変化が新しい事への挑戦を誘う。ちょっとしたお誘いがあったら、検討してやってみることだ。それが新しい経験になるならば、やって見る価値はある。

生活の変化が新しい生活様式をもたらす

2020年は新型コロナ感染元年になる。コロナ禍は世界中の人々に新しい生活様式をもたらした。コロナ感染を予防するためにフェイスマスクを着用し手洗いを頻繁にしてソーシャルディスタンスを確保して3密を防ぐ新しい生活様式である。

シニアにとってコロナ感染は死を招くトリガーになる。そのため、今まで以上に制約がある生活様式になりがちになる。外出を控え始めて体を動かす機会を失い、刺激が少ない生活を家の中でやり始める。体力が落ち、知人や友達と直接会っておしゃべりすることもなくなり、精神的なストレスが増える。プラスの刺激ではなく、マイナスの刺激がコロナ禍から起きてしまった。

コロナ感染予防の新しい生活様式が社会に新しい変化をもたらした。それに人類が適応することを強制される。自分の意志で新しい生活を作り出すのではなく、コロナ感染が社会に変化を強制し、私達はそれに適応せざるを得ない時代である。

新しい生活様式は年齢に関係なく体と脳に新しい刺激を与える。この変化と刺激を上手く活用して体と脳を刺激する機会を増やす事を考え、実行する。体と脳は常に使わないと楽しい余生を送れない。

新しい事をやりたいという「強い思い」がやれる現実を誘い込む! 

新しい生活様式の中で無理を承知でやってみるのもシニアの特権かもしれない。自分の時間を束縛する上司や組織はない。上手く使えない時間を使ってやりたい事に挑戦してみる。時間がかかるが一寸づつ出来ないことが出来はじめる体験を味う。そこに喜びが生まれる。これをやっているうちに派生的にあれもやってみたい、これもやってみたいとなれば、成功である。

やりたいという強い思いが新しい事に挑戦する種を生み出す。後は、その種を育てるだけ。育てるには、やり始めたことを続けながら創意工夫をする。それだけである。簡単のように見えて実は難しい。上手く育たない場合もあるし、やりながら新たな壁にぶつかる場合もある。そのような壁を乗り越えていく過程で新しい生き方を味わえるようになる。 

結論

シニアには新しい変化と刺激が必要である。社会の片隅で消えて行く存在から社会の一員として動き出す存在になるために体と脳は常に使う生活を作り出さねばならない。新しいことに挑戦する物を探す。コロナ禍は全世界に新しい生活様式をもたらした。その変化はシニアに何らかの変化をもたらす。変化をうまく活用してシニアの存在感を示す活動をすべきではないか。