過去の人からの手紙に戸惑いを覚える

先日、突然、20年ほど前の元会社同僚(顔見知り程度)から手紙が届いた。私は、20数年前に彼の奥さんに依頼されて「ある事件の証人」として彼について話した。彼との接点は、同じ職場であるプロジェクトに携わっていただけだ。親交が深い同僚と言うよりは、職場で顔を合わせていた同僚と言う程度の関係であった。 

そんな彼から20数年たって突然手紙を頂いた。私にとって彼の存在は既に「過去の人」と言う認識である。その当時、私がやれる事をやったという事で事は終わったと思っていた。彼からの突然の手紙は驚きでしかなかった。

現在と20数年前の私では、人生と生活環境が違う。人生観も違う。彼の存在は、今の自分の人生の外にある。そんな思いが手紙を読んで強く感じた。

幼なじみでも親交が続いていなければ赤の他人!

小学校、中学校、高校の同級生で親交が深い人はいない。会社付き合いの人も既に私の交友範囲から外れている。生活する環境と職場が変われば、交流関係の変わる。親戚でも親交が無ければ、他人に近い関係としか感じない現代だ。

今回の手紙は、そんな印象を感じる手紙であった。なぜ、今。なぜ、親交が無い私に?という疑問符だらけであった。

手紙の内容は、彼の身の回りの出来事に終始していた。なぜ、私に手紙を出したかも書かれていない。20数年前の亡霊が手紙を出しているという感じだ。あまりにも年数が経った親交が続いていない元会社同僚からの手紙であったので、深入りはしない方が安全と考えて何もアクションを取らないでいる。訳が分からない人からのコンタクトはリスクがある

ビジネスをやっていると同様なコンタクトが何度かあった。多くは、売り込みやお金を貸してくれという事だ。自分にとって喜ぶようなコンタクトではなかった。プラスの印象で別れた友人や何かの借りがある知人であれば、それなりの対応は出来るのだがそのようなケースでないコンタクトは要注意だ。

過去の嫌な経験があると自然と訳の分からないコンタクトに警戒する。

63歳になり、年齢が増して来ると自分の老後の対策で他人の事まで気が回らない。これが本音だ。特に義両親の介護に時間と労力が取られている時に他人の事まで深入りしたくないという気持ちが強い。

同世代の接点があった人は、皆、弱者になって行く。皆、それぞれの人生を送ってきている。会社を定年した人たちは、年数が経つにつれて離れ離れになる。それぞれの人生を模索しながら過去の人たちとなって私から離れて行く。これが自然だからだ。過去の生活に固守する人は未来に向かって歩いていけない。

過去の亡霊で今の自分を支えてくれた、助けてくれたという恩を感じる亡霊であれば、その恩を返す義務が私にある。そんな人からのコンタクトは義を通す意味合いで無視は出来ない。今回のコンタクトはそれに該当しない。感情的にプラスのイメージが生まれなかった。自分に正直でないと後で後悔をすることになる。

頭で考えるのではなく、心で感じて回答を出す自分の心に反してまで理性を優先する必要はないと考える。

この記事「過去の人からの手紙に戸惑いを覚える」のポイントは、

  • 親交が続いていない過去の人からのコンタクトは注意が必要だ
  • 恩がある人でない限り、対応はしないほうが良い
  • ビジネスをやっていると過去からの亡霊が何度もコンタクトを取ってくる。多くは売り込みや借金の依頼だ