一番不幸なことは今何をやれば良いか分からないことだ!

昨夜の忘年会でシニアの人たちと酒を飲みながら話を聞いた。65歳を越えて年金をもらい、仕事もあり、好きな趣味を追求している方だ。経済的に余裕があり、時間も自由に出来るシニアだ。彼の話を聞いていると必ずしも今の状態に満足していないようだ。

彼が求めるものは、一体何なんだろうか? 

お金よりも今を楽しめる「やりがい」

経済的に余裕があるシニアたちは、生活費を稼ぐ切迫感がない。何もしなくても年金や貯蓄で食べていけるからだ。彼らが求める物は、精神的な充実感だ。仕事はあるが、その仕事が自分が求めて仕事ではない。自分の小遣いを稼ぐための仕事のようだ。本来ならば、好きな仕事で小遣い稼ぎをしたいという。

好きな仕事って何なんだろう?

彼曰く、自分のアイデアで作った仕事だそうだ。今年からそんな仕事をやり始めたという。稼ぎはそれほどないが、充実感があるという。自分の生活で経済的に問題が無いシニアは、自分が作り出した何かで充実感と生きがいを見いだそうとしている。お金はあまり関係ないというか、優先順位が低い。

彼も私はある真実に気がついている。お互い60歳代のシニアである。10年後、20年後の自分を想像して今を考えている。彼のカラダも私のカラダも老いから来る老化が目立ち始めると認識している。体が老化してくるとお金を使っても楽しめなくなる。体の調子が悪いと全てが面白くなくなる。

時間、お金、生きているという3要素が意味をなすには、健康な体があり、普通の人の生活や行動が出来る状態に自分がいるかどうかだ。70歳までは、定期的な運動で問題なく生活が出来ると私は信じている。70歳から80歳では、体の弱い部分から障害が生まれてくると予想している。

既に分かっている障害は、目の病気:緑内障だ。さらに、腰の病気:椎間板ヘルニア(座骨神経痛)である。この2つの病気は、ひょっとしたら死ぬまで引きずることになるだろう。今後、これらの障害にいくつか追加されるだろう。カラダには寿命がある。運命という寿命だ。 

普通の生活が送れる体があって初めて精神的な生きがいを追える。体が不自由になるとやれる事の範囲が狭まる。狭まる事で好きな事が出来なくなる。 

彼と私は、まだ体が丈夫で言う事を聞くうちに今までの人生でやれなかった事をやろうという話で終わった。お金がなくても生きている限り、一寸した幸せを感じる事がある。その幸せを感じるには、自分で自分の生きがいを見つけておく事である。生きがい=お金ではない。

生きがいは、経済的な価値観では計測できないからだ。