横浜のランチ時間帯は、人間観察にもってこいだ。ビルから会社員が一斉にランチを求めに外に出てくる。誰もがランチを食べにお店を探す。老若男女を一度に観察できる。スーツを着た会社員の中でひときわ目立つスーツを脱いだシニアたちがいる。仕事をしていないシニアたちだ。遊びを求めて街中を歩いているのか、ただ暇を潰しているのかは分からない。
働けるのに働かないシニアたちなのか、脱いだスーツを着られないのか?
定年退職して年金をもらい始めると仕事現場の感覚を失う。この感覚を失うと以前脱いだスーツが着られなくなる。鳥籠から放たれた小鳥は二度と鳥籠に戻りたくない。
組織の呪縛から放たれると自由の味に慣れ親しんでしまう。再雇用されて働き出すには、余程の動機が必要だ。働かないと食べて行けないという切迫感がないと脱いだスーツを着ないだろう。
ただ、こんな場合は違う!
自分で作り出した仕事であるならば、一度脱いだスーツを着られる。または、スーツを着て活動する目標が見つかるともう一度スーツを着出す。
自発的に働こうとする気持ちが生まれるとシニアは一度脱いだスーツを拾い着始める。多くのシニアは、仕事をしない子供に戻り始めている。良い、悪いは別にして人材の浪費である。シニアは子供と違って遊びから世の中を学ぶ事が出来ない。既に経験済みだからだ。
子供の職業は、遊ぶ事だ。遊びながら大人になる準備を肉体的に精神的にする。スーツを脱いだシニアたちが遊び出すと遊びの中に発見が少ない。学びよりも時間の浪費でしかない。
老後は楽をしたいと夢見て定年退職を迎えた老人たちが今の70歳代だ。大企業を定年退職した元会社員は、厚生年金と国民年金だけで経済的に余裕がある生活が出来る。横浜の街中で帽子をかぶり、リュックを背負いながら、行き場を探しながら歩いているシニアを見て羨ましいと感じた。
本人たちの心情を代弁するならば、「決して羨ましいがる状態ではない」と言って来る。
自宅にいると奥方たちに嫌がられるからだと・・・仕方なく街に出てくる。カフェでコーヒーを飲んでも何時間もいられない。毎日本を読んでも飽きが来る。何か物足りない人生を送っているような感じを持つ。老後は楽をしたいと夢見たが、いざ、楽を経験し始めると忙しい方がまだましではないかと思い始める。
だが、
いざ再就職活動をしてみると昔の感覚が今の時代の感覚と合わなくなっているのに気がつく。面接を受けても経済的に困っていないのでわがままを言ってしまう。つい、大企業の視線で話をしてしまう。再就職先は中小企業がほとんどだ。使えるシニアではなく使えないわがままなシニアに写ってしまう。
経済的に困っていないから事は余計に難しくする。一度、組織という呪縛から解かれて自由を味わった小鳥(組織の歯車)は、自分の歯車にあわない組織でしか再就職先が見つからない。シニアになると忍耐力が落ちる。我慢出来なくなる。わがままになる。
「働けるけど働けない、働かないシニア」になってしまう。
自分に自信があるシニア、自分に実力があると信じているシニアたちは、一度、起業する事を経験すべきだろう。そして、自分の実力を試すべきだ。大企業の元会社員であればあるほど、自分の実力の無さ、手に職の無さ、人望の無さを味わう。
スーツを脱いだシニアたちの中で一からやり直したい人は、全く新しい世界を垣間見る事が出来る。ビジネスのイロハを自分の体を通して体験できるからだ。好奇心という導火線に火が付けば、誰もが脱いだスーツを着始める。