「2030年かなたの家族」のNHKドラマ番組を見た:家族の絆とは

2030年は今から15年後の世界だ。近未来の家族関係をドラマ化した番組であったが、シニアの生活環境の一部を見せつける物であった。一つ衝撃的であった起こりうる悲劇は、住宅の売り物件の看板が並んでいる住宅街だ。人口の減少で空き家が増える。

ひょっとしたら、2030年の社会は都市集中型で近代的な環境にいるシニア層と地方で自然な姿で生活するシニア層で二分化されるのではと。

最新技術で快適な社会環境が作られる社会はなぜか人間味が欠けている!

「2030年かなたの家族」のNHKドラマ番組は、今までの家族関係を再認識する踏み絵のようだ。それぞれがばらばらに生きて行くのだが、家族という見えない絆が家族の間を結んでいる。どんなに環境が近代化されても技術だけでは人間の心の叫びを満たすことは出来ない。

【このドラマが描く2030年の世界とは】

地縁、血縁、社縁といった、これまで大事にされてきた人とのつながりが流動化。独り世帯が増え、夫婦と子供からなる「標準家族」はむしろ少数派になっている。一方で65歳以上の高齢者人口が3割を超えるなど高齢化にも拍車がかかり、経済格差も拡大している。(引用先:2030年かなたの家族

最近の傾向として、郊外で立派な住宅を建てて生活をしていた団塊世代が都心に移り住んできている。戸建てを売り、駅に近い都心に近い便利なマンションに移り住んでいる。

家内曰く、

郊外よりも交通の利便性が良い都内、色々な刺激がある街中、シニアの生活に必要な要素を満たす環境として都会を選ぶのは当然だという。

私は、自分の仕事を郊外や地方に持ち込めるならば、生活の場所は都会である必要は無いと思っている。シニアが困るのは、老いから来る移動手段がなくなることだ。運転免許証が維持できなくなる。公共交通機関が無くなっていく。隣人が都会に引っ越していく。住んでいる町が縮小して行く。生活面で不便さが目立ち始めることが予測できるからだ。

富めるシニアたちは、生活コストが高い都会に引っ越しが出来る。貧乏なシニアは、過疎化が進む町に居残る。この二極化は確実に顕著になっていく。地方は、若者を都会から呼び戻そうと色々な試みをしている。

だが、

若者たちは、若者たちが集まる都会に集まる。刺激がある場所を好む。地方には、若者が求める刺激が無い。人間味を味わう機会が少ない大都会の生活は、人と人との絆を弱める。相互依存しなくても生きていける環境が都会にはある。一方、地方での生活は、お互いを支え合って生きて行かなければ成り立たない環境にある。それ故、人間味という要素が絆となって人付き合いが成り立っている。

コンピューターやロボット、そして、高度なセンサーで裕福なシニア層をお世話する「永遠シティー」は、一見理想郷のような環境を作り上げている。シニアが働く「場」が提供され、高度な医療センサーで健康管理がされ、シニア住民をお世話するスタッフによって守られている。

私が住む近くにも富裕層のシニアが住む高級老人ホームがある。素晴らしい環境が提供されている。自分の子供家族から離れて一人そこに住んでいるシニアが多い。本当は、子供の家族と一緒に生活を送りたいのではないかと。

どんなに素晴らしい生活環境が提供されても周りに家族のような絆を持った人たちが居なければ、孤独である。年老いていく過程で最後は必ず一人になる。それまで家族という暖かい環境で一緒に生活をしたいと思うのは私だけではないだろう。

私は、大家族で生活をするのが理想である。第三世代まで一緒に一つの家で生活が出来た昭和の時代が懐かしい。それに近い生活環境を求めている。