自分の伴侶と家族以外はどうしてもつながりが消えていく

死別と縁がない人は、会うことがない。死別は、永遠に会えないが縁がない人も同じかもしれない。会う意志がないからだ。いつも顔を合わせて会話をする関係が続く人はどうしても妻と家族になる。知人、友達、仕事仲間などは、環境が変われば消えて無くなる。

歳を取れば取るほど人間関係は薄れていく。これはどうしようもないのかもしれない。信頼関係は、長年助け合いながら生きてきた伴侶しか本当に作れない。私はそう思っている。相性が悪い伴侶であれば、違うかもしれない。定年離婚になるような伴侶も対象外だ。

長生きをすると自然と一人ぼっちになる。友人、知人、親族が先に他界してしまうからだ。妻の父親は96歳でこう嘆いていた。「友人が誰一人として生き残っていない!皆、先に行ってしまった。長生きは本当に幸せなのだろうか。」

赤ちゃんは生まれた時に両親がいる。老人が死ぬ時は大人になった子供がいる。

人生は本当に縁がある人しか関係を続けられない。幼友達でも疎遠になれば、友達関係も薄れていく。関係を深めるのは、いつも近くにいる人達だけだ。縁が強い、深いからいつも自分の近くに居て見守ってくれる。両親が大人になった子供をいつまでも見守っているように!

縁の強さや深さは運命の定めではないか。自分の人生は運命の定めに従って決まっているのかもしれない。年老いてくると理性で物事を判断する、考えるよりも感性で自分の人生を判断したがる。老いて来ている体が精神に語ってくるからだ。

自分の周りに友達がいないと安心できない若者が多い。自分に自信があり自分の人生を積極的に歩んでいこうとする若者は孤独な活動をする傾向が強い。例えば、一人で世界旅行をするとか。連帯意識で何かを一緒に行うという依存心が少ない。

人生の行き先が違うと付き合う人も違ってくる

会社の同僚ほどその場しのぎの関係になる。たまたま、同じ職場で働いていただけだ。それ以上もそれ以下もない。定年退職をして組織を離れて行った同僚たちはあまり縁がない。たまに偶然にどこかで会えば、それで良いような関係だ。人生の行き先が違う

自分の夢に向かって生きている人は出会う人たちとの関係よりも夢の達成に生き甲斐を持つ。自分の夢から外れた人たちは自然とどこかに消えて行く。夢がない人たちは独りぼっちが嫌なために昔の同僚、知人、友人に会おうとする。同じ心境な人は会ってくれる。

自分の夢に向かっている人は関心がないので会うことを断る。会う人は、自分の夢を達成する道にいる人だけだ。この心理を理解している人ならば、孤独になっても孤独を嫌がらない。人間は一人で生まれ一人で死んでいくからだ。友達と一緒に生まれてこない。いつも、何をやるにしても人生は一人でアクションを取る。

Facebookで昔の友達や同僚とつながるが会いたいとは思わない。会ってどうするの?今自分がやっている事の延長線にその人がいなければ、会いたいという気持ちになれない。生きる目的がある人とそうでない人では会う人が違う。

寂しいから昔の仲間と群れる

65歳を過ぎて年金生活をしている老人たちは昔の仲間と群れる。寂しくて暇だからだ。一緒に人生を愚痴る場がほしい。私はそのような人たちとの縁はないのでいつも一人で仕事をしている。自分が作った仕事で得意の分野ならば、暇という時間は少ない。いつもやるべきことがあるからだ。

友達が大勢いる人は幸せだという人がいるが、私はそう思わない。自分の人生という道を一緒に歩いてくれる人たちではないからである。一緒に歩いてくれる人は家内しかいない。人生の伴侶である。

高齢者の男性と女性では人付き合いが違う。私の妻は人に好かれる性格であるためいつも誰かからお呼びがかかる。彼女も自分の仕事を持っている。ピアノ教師である。私の仕事世界と彼女の世界は全く相容れない世界であるため、お互いに干渉しない。お互い我が道を行く人生を送っている。

女性はお喋りをする相手がどうしても必要な人種である。お喋り相手が周りにいればそれで楽しい時間を過ごせる。妻はいつも私にこんな皮肉をいう。「あなたには友人や知人が一人もいない寂しい人ね!だから、私がいないとだめなのよねと。」確かにそれは事実である。でも、So, what! それがどうした!ということである。人それぞれの人生がある。

妻の人生と私の人生は違う。最終駅は同じであっても、その過程は違う。

友人や知人、遊び仲間がいなくても我が道を行くべき

最後は必ず一人になる。一人で死んで行く。この現実を受け入れて今の人生を楽しむ。自然体で運命の「縁と新しい出会い」を楽しむ。無理して友人や知人、遊び仲間を作る必要はない。本当に必要になったら、自然と友達作りにアクションを取るのが人間である。

私の日常はカフェで日中を過ごす。カフェを仕事場として使っている。人と話すことは殆どない。いつも、パソコンの画面とにらめっこの生活である。自宅に帰ると妻が話しかけてくる。妻がいなくなったら、居候のヤモリとお喋りをすることになるかもしれない。ヤモリが知らないうちにベランダの鉢近くに住まいを作ってしまっている。

yamori