これからの高齢者の生き方は、67歳の私が子供の頃にイメージしていた高齢者の生き方とは違う。私がイメージしていた高齢者の生き方は、私が子供の頃見た家族構成とその役割にある。おじいちゃんとおばあちゃんが子どもたちの面倒を見る生活。子供の目からして祖父、祖母が何をして老後を楽しんで生きていたかは覚えていない。
私がかすかに記憶していることは親族や知人が遊びに来ておばあちゃんとお喋りをしていた。また、おひかりさんという宗教で出かけていたりしたことだ。孫である私は祖母に連れられて宗教団体の会合に行ったり、親族の家を訪問したりしていたことが記憶にある。
田舎の暮らしであるから、近所のお年寄りたちが出たり入ったりして老人クラブのような活動を近所の人達がやっていたように感じる。
21世紀の高齢者の生き方は核家族世帯による生き方になっている。昭和の時代は老人が自宅で終活をする時代であった。今は色々な選択がある。
今の高齢者の生き方は自分好みで決められる
高齢者にはこんな生き方の選択がある
- 子供の世話にならない生き方(有料老人ホームに入居して、自由な自分の生活を送る、子供家族に気兼ねをしない自由な生活)
- 生涯現役を続け、社会とのつながりを維持して行く生き方(ピンコロの人生:働くことで健康寿命を伸ばし、他界するまでの時間を短くする)
- 夫婦共稼ぎが当たり前の時代で孫のお世話をする引退生活の生き方(昔の自営業者はこんな生活になる)
- シェアハウスで若い世代の人たちと生活を共にする生き方(健康で普通の生活が出来る間、自宅を離れて若者たちと一緒に共同生活をする)
大前提は普通の生活が送れる健康的な身体があること。健康を害したら、誰もが病院を行き来する生活になる。病気が治るのを待つか、そのまま人生を終えるかの選択しか無い。
会社で雇用される労働者の生き方は年齢による制限が必ずある。自営業者は自分で仕事を辞める時期を決められる。私のような自営業者は生涯現役を求めるならば、それも可能である。ビジネスと体が続く限りという条件が前提になる。
趣味に生きる高齢者が多くなる
毎日が日曜日の老後は耐えられない。暇という苦痛から逃れるために高齢者たちはもがき始める。趣味は誰にでもすぐに始められる。興味と行動力さえ有れば、問題なく始められる。一人で楽しむ趣味から多くの人たちと交わりながら楽しむ趣味がある。選択は自分の興味で決まる。
働くのが趣味な高齢者もいる。私が所属するNPO団体は働くのが趣味な人たちが会員となって中小企業の営業支援サービスを行っている。営業支援サービスの仕事を余生の軸にする高齢者が多い。会社で働くよりも自由と選択がある。興味のない仕事はやらなくても良い。その代わり、給与は期待できないほどの小遣い金額になる。
でも、お金よりも自分の生きがいを感じる時間を得るほうが価値があると思って続けている高齢者たちである。
老後は好きなことをやる
自分の残りの人生は自分で決められる。好きな事をやれる。残りの人生という時間を自分が好きな様に使い、表現できる。ちょっとした人生の目標さえ決めれば、充実した老後を送ることが出来る。会社員生活が長い高齢者は、誰かの跡を歩くのが得意だが、自分で足跡を残していくのが難しい。
現実は苦痛を感じながら自分の足跡を残していく老後の生活のほうが充実感を味わえられる。自分でやったという経験が今までにない満足感を作り出すからだ。
私が51歳の時に起業した時、最初の売上を確定したときほど嬉しいことはなかった。今までは会社から自動的に銀行口座に振り込まれてくるだけであった。自分でお金を稼いだという体験ではなかった。自分の時間を会社に売って稼ぐ労働者であった。それも、定年退職という時間制限がある労働である。
起業して、世の中には180度違う人生を経験できる世界があることに気がつく。起業して16年が経過した今、会社員から事業者になったことに幸せと満足感を感じている。私にとって今のビジネスは仕事から趣味に変わり、生きがいとなろうとしている。
結論
-
高齢者にはこんな老後の生き方の選択がある。
- 子供の世話にならない生き方(有料老人ホームに入居して、自由な自分の生活を送る、子供家族に気兼ねをしない自由な生活)
- 生涯現役を続け、社会とのつながりを維持して行く生き方(ピンコロの人生;働くことで健康寿命を伸ばし、他界するまでの時間を短くする)
- 夫婦共稼ぎが当たり前の時代で孫のお世話をする引退生活の生き方(昔の自営業者はこんな生活だ)
- シェアハウスで若い世代の人たちと生活を共にする生き方(健康で普通の生活が出来る間、自宅を離れて若者たちと一緒に共同生活をする)