65歳になって気付く事がある。横浜に出勤する途中に道路沿いの公園がある。朝の道路はマイカー通勤で自動車が忙しく走って騒がしい。その騒がしさが嫌でいつも公園の中を通って道路沿いの道を避ける。公園の中は、静かだ。自分が歩く足跡が聞こえる。心が落ち着く。
体が肩コリ、背中のコリ、首のコリ、腰のコリで調子が良くない。そんな状態であると、なぜか、ちょっとした刺激に耐えられなくなる感じがする。耐えられない感じは、体のコリから来ているのか、体の老化から来ているのか、分からない。
若い頃は、道路の騒音などあまり気にしていなかった。還暦を過ぎた体は、知らないうちに外部からの刺激に対する忍耐力を低下させている。老後の生活は静かな自然の中で過ごしたいと私は思っているのだが、妻は刺激がある都会の生活を望んでいる。
個人差はあるが、妻の友人たちは郊外から都内に移り住んでいる。一軒家を売却して都内にマンションを購入し電車で直ぐに行ける繁華街を楽しんでいるという。女性と男性では老後の生活で求めるものが変わってくるのだろうか。
老後の生活は都会で過ごしたいと妻は言う!なぜ?
老人の一般的なイメージは、静寂を求めるライフスタイルである。都会よりも田舎。そんなイメージが私にはある。私は静岡県の田舎育ち。‥と言っても青春時代は米国の大学で過ごしたが。生まれ育った時期に記憶された風景や環境は、年老いて来た時に呼び起こされる。のどかな田舎が心地良くイメージに残っている。
家内は神戸生まれの都会育ちである。彼女は老後を都会で生活をしたいという。今私達が住む場所は横浜郊外に位置する。住居から最寄りの駅まで歩いて20分ほどかかる。バスで行けば5分で行ける距離にある。それでも妻はもっと簡単に都会にアクセスできる環境を求める。
都会には変化があり、女性の目を楽しませる
妻は東横線沿いに移り住みたいと言っている。東横線沿いには女性の目を楽しませるお店とレストランやカフェがたくさんあるからだ。平坦な地形で徒歩10分ぐらいの距離に駅があれば、電車で都内に出ていける。今の住居は最寄りの駅から徒歩で20分丘を登っていく距離にある。老いてくるとこれが苦痛になると言う。
女性にとってお洒落なカフェやレストランで女友達と一緒にお喋りをするのが一番楽しいらしい。同じことを今の住居でしようとすると田舎から都会に出ていく感じがする。横浜駅周辺にも洒落たカフェやレストランが沢山あるのだが、バラエティーの面で少し劣る。
最寄りの駅から横浜駅まで10分ほどで行ける。問題は自宅から最寄りの駅までの時間と丘の登り下りである。パスは待つ時間がかかる。歩いてすぐに駅に行ければ妻も今の住居で妥協するかもしれない。女性は男性以上に暇な時間を楽しむ要素が多い都会を求める。
都会は新しいお店がタケノコのように生まれて来る。目を楽しませる新しいお店やレストランがたくさんある都会が魅力のようだ。
長生きする女性たちが求めるものは「生活の利便性」
老いてくると徒歩で歩き回る筋力と体力が衰える。行きたい場所に行ける公共交通機関を気軽に使える利便性を住む場所に求める。都会では自動車を使わないで歩いて用事をませる環境が整っている。コンビニ、郵便局、銀行、床屋、スーパー、レストラン、カフェ、図書館などなど。横浜の郊外ではそれらの場所に自動車で行くことが多くなる。
出かける上での交通と用事を済ませる場所への「アクセス利便性」は長生きする女性にとって最も重要な要素になる。田舎と都会の違いがアクセスの利便性である。今の住居ではスーパーに買い出しに行くのに自動車で行かざるを得ない。全てが自動車でとなり、年齢で自動車を運転できなくなると食料の買い出しは大変になる。自動車なしの利便性は確立しない。
都会は自動車よりも自転車や徒歩でスーパーに買い出しに行ける場合が多い。老後の食生活を考えると近くに食料を調達できるお店があると生活は楽になる。
生活の利便性
- 生活の用事を済ませる場所へのアクセス(コンビニ、郵便局、銀行、床屋、スーパー、レストラン、カフェ、図書館など)
- 暇をつぶす場所が多い
- 友達とのコミュニケーションをおしゃれなカフェやレストランで楽しめる
ただ、親しい友人が都会にいない場合は田舎の住居に残るという選択もある。女性にとっておしゃべりを楽しむ相手が近くにいるか、いないかで老後の生活の質に差が出る。
結論
女性は老いてくると都会の生活に憧れる。都会の変化と刺激に魅力を感じて住居を田舎から都会に移すシニアが多い。私の妻も横浜の郊外からと東横沿線に住居を移したいと言っている。行きたい場所に徒歩で電車ですぐ行ける場所が都会にはある。生活の利便性という視点で老後の生活の場を考え始める。