老人の健康寿命は脚力を身につける運動習慣があるかどうかで決まる

天気が良い日には、外で老人たちを多く見かける。家内と一緒にランチドライブに出かけた。道脇を歩く老人たちを何人も見かけた。杖を使って歩いているおばあさん、よろよろと歩いているおじいさん、道を斜めに渡り歩いているシニア。

弱々しい姿を老人に見る一方で、元気にランニングをしている高齢者も多く見かけた。左腕にスマホケースをつけて力強く走っている。足を見れば鍛えられた筋肉が見える。

体の格差は老人の足に顕著に出てくる。

老いてくると健康面での違いが大きくなる

お金持ちと貧乏な老人で健康面での相関関係はないと思える。私の知人には、お金持ちと貧乏な老人がいるが健康という面では個人差が有りすぎる。人の寿命が違うように健康も違うのだが、体を鍛え続けている老人は、杖をついて歩くような体になっていない。背筋も曲がっていない。歩くスピードも早い。体の動きも機敏性がある。

裕福であれば健康であるのか?

貧乏な老人は、自分の足を使って買い物に行く。近くのスーパーまで数キロあっても自動車で行かない、または、自動車がないので行けない。自分の足を使うことになる。脚力は自然とついて来る。

裕福な老人は、直ぐに自動車でスーパーに買い出しに行く。足を使うのはスーパー内だけ。足を使わない生活が簡単に出来てしまう。老人の足は、使わなければ使わないだけ衰える。一度衰えるとその筋力を回復するために苦痛と時間が発生する。強い意識で足を鍛えないと脚力はどんどん弱って行く。

体を積極的に動かす生活習慣がある老人ならば、裕福であろうが、貧乏であろうがそれから生まれる悪影響は少ない。老人の健康格差は意識して運動習慣を作れるかどうかで決まる。楽をする老人は、積極的に体を鍛えない。健康への意識が弱いからだ。運動習慣が身についていないため、直ぐに楽な生活になってしまう。

その結果が自分の足に出る。歩くことが不自由に成り、外出時には杖が必要になる。筋力がないために体のバランスが取れにくい。歩き方が弱々しくなり、自由に行きたい場所に歩いていけなくなる。

毎日健康を意識してウォーキングやランニングの運動習慣を身に付けようとしている老人は、歩く上で何も支障がない。年齢が80歳を越えても歩くスピードが早く、力強い歩き方をしている。ランニング習慣がある老人ならば、機敏な歩き方が出来る。

シニアの健康格差はお金では解決できない!

全ては、自分の健康への意識の問題である。体を鍛える生活習慣を身に付けるには、日常的に体を使い、意識して歩いたり、走ったり、スポーツセンターで筋トレをしたりする運動をするしかない。定期的に行うのは、面倒で苦痛かもしれないが楽をする生活は老人の健康にとってマイナスになる。

自動車を使わないで歩いて行くとか、エスカレターを使わないで階段を使うとか、ちょっとした意識で体を活発に使う運動がすぐに出来る。老後の生活を楽しむには、健康な体が必須になる。特に、脚力は重要で行動の自由を左右する。

杖を使って弱々しく歩く老人の姿は、明日の自分かもしれない。今からでも遅くない。意識して体を動かす運動を心がけて運動習慣を身に付けるべきである。

結論

65歳になって足を鍛えることの重要性を強く意識している。自由に歩ける脚力を維持できないと老後の人生はつまらなくなる。行動の自由を失った老人はどんなにお金があっても自分で歩ける脚力がある老人にかなわない。自分で動けるか、動けないかで余生の楽しみが変わる。

老人の健康寿命は脚力を身につける運動習慣があるかどうかで決まる。足を積極的に使う生活習慣がないシニアは年に1%づつ足の筋肉が失われて行く。意識して足の筋肉を鍛えないと筋肉がどんどん減っていく運命にある。お金で足の筋肉は買えない。