仕事を辞め暇な時間を何に使えば老後を楽しめるのか?

70歳を過ぎると仕事から離れるシニアが多くなる。仕事と言うストレスから解放される。働いている時にこんな事、あんな事をやりたいという欲求が生まれる。仕事が生き甲斐のシニアは、仕事を続ける。自営業者であれば、それが出来るのだが雇用されている人は仕事を辞めざるを得ない。昼間の時間がぽっかりと空く。空いた時間を如何に楽しく埋めるかがその人の幸せにつながる。

幸せなシニアの暮らし方は、日中の時間をどの様に使うかで決まる。

キーワードは、「趣味」だ。

長生きは幸せなのだろうか?

男性よりも長生きする女性は、自分の老後を心配している。働いてお金が稼げれば良いのだが、年齢が80歳を越えれば体力も落ちるし、雇ってくれる場所も無くなる。誰が考えても長生きした女性が年金や貯蓄だけで生活し続けるのは難しい。有料老人ホームは、既に満杯。お金で余裕がある資産家であれば、お金が高い老人ホーム(億単位の費用)を探せる。

老齢でお金を稼げなくなる体になるとお金が必要になる。特に普通の生活ができなくなり、老人ホームでの生活を求めると裕福な老人でないと第三者による介護生活を受けられない。私達の世代は団塊の世代のあとに来るので老人ホームは満杯で入れなくなる可能性が高い。

働ける人材の数よりも老人ホームの介護の生活を送る老人の数が多くなったら、社会はどうなるのだろうか。貧乏人の老人は長い気ができても生きられなくなる。全てがお金の社会になる。そんな社会で「長生きは美徳になるのだろうか?

マンションのリフォーム:壁紙とカーペットの張替え

マンションに住み始めて22年が経過した。壁紙にカビが出始めてフロアーが擦り切れてくる。22年も住んでいればマンションのリフォームも必要になる。リフォームをしたくてもお金が十分ないと出来ない。将来、今住んでいるマンションをどうするかでリフォームの程度も変わる。隣人は、定年退職金で老後の生活にあった全面リフォームをやり始めた。

私にとってまだ先の事が分からないので本当に必要な部分だけのプチリフォームを検討している。大きなお金が出せない懐事情があるからだ。 

なぜ、シニアには新しい変化と刺激が必要なのか?

シニアには新しい刺激が必要である。味わったことがない刺激は、シニアの感受性を高める。慣れ親しんだ環境からの刺激は刺激になっていない。押し寄せる変化で自分の生活を変えるよりも自分で変化を作るほうが楽しいはずだ。

シニアの老後は社会との接点が少なくなるので自然と静かな隠居生活になりがちになる。静かで刺激がない生活はつまらない。元気で動ける間は与えられた時間と体を楽しむために使いたい。組織から離れた日常はやることを自分で作らないと「暇に殺される」という運命になる。

体と脳は常に使わないと老化でガタがくる。体を定期的に動かすことを止めると体全体が硬くなり、関節の動きも悪くなる。気が付かないうちに体の動きで柔軟性が欠けてくる。脳も同様に考えることが少なくなると受身的な情報処理で終わり、脳を刺激することが少なくなる。認知症はこんな状態になった時に発症する。

自分の生活に刺激を意図的に与えるには自主的に新しいことを始めることである。未経験の事を体験すると体も脳も興奮する。新鮮な刺激が体全体に響き渡る。そんな刺激を作れると与えられた余生を有意義に使えるようになる。

シニア女性を若く見せるには?

先ほど相鉄電車から降りて横浜駅近くのスタバに着いた。頭の中には、若い女性の服装がさわやかであったことが余韻として残っている。若さは美貌であるが、その美貌をもっと魅力的にする服装と色彩がある。65歳のシニアでもそれを感じる。世の中には色々な印象を与えてくれる女性がいる。どんなに顔や容貌が奇麗でも心に残らない女性がいる。美人でなくても何故か印象強く記憶に残る女性もいる。

若い女性はファッションに敏感だ。中高年やシニア女性もファッションに敏感であると思うのだが、日本の女性は老いて来ると何故か地味な色彩や服装になる。 私はそれが残念でならない。

大学生時代を米国の州立大学で過ごした。週末には、キャンパスの周辺にある浜辺まで散歩する。浜辺に出る途中で素敵な住居を何軒も見つける。引退生活に入っている老夫婦たちがお庭の掃除や花壇に咲いた花の世話をしている。花壇に咲いた花の色に調和するような目立つ色彩の服装が印象に残っている。日本ではちょっと見かけない。

米国人は原色好きだ。自分たちを若く見せるために目立つ色の服装を着る。それが自然の色にうまく調和しているのに驚く。