シニアのボランティア活動を始めるならば?

近くの公園で毎朝ゴミ拾いをしている老人がいる。通勤時によく見かける。誰も彼に依頼していないと思うが、自発的に公園を綺麗にしようとしている。自分がシニアになって、なぜ、彼がそのようなボランティア活動をしているのかが分かる。

社会は、老人を使い道のない厄介者のように取り扱う。年金で静かに暮らしてくれればそれで良いような。現実は、年金だけで生活が出来ないために生活保護を受けてしまう老人が多い。使い古しの人間だから何も期待していないというような雰囲気がある。

老人は社会で役に立ちたいと機会を探している 

ボランティア活動は、若い人よりもシニアが中心に行う時代が来ている。若いものが展開しているNPO団体への参加も一つの方法である。

介護付き有料老人ホームに入居出来ない、介護を頼めないシニアの増加リスク

私が子供の頃は、3世代が同居して生活をしていた。それが世間一般的な生活スタイルであった。老人の世話はその家の中で完結していた。今の世代は、3世代同居して生活をしている家庭を都会で見つけるのは難しい。 地方の農村地帯では、そんな多世代家族が成り立っているところもあるが時代の流れで核家族化してしまっている。

大家族での生活で良い点は、誰かが老人や幼児の面倒を見る事が出来る事だ。核家族では、それをやれる人が家族にいない。

少子高齢化の時代は、家族に人的な余裕が無いため老人ホームへの入居という選択肢しか生まれてこない。2025年には、3人に1人が65歳以上の老人になる。核家族で老人の人口が増えると誰が面倒を見るのだろうか。

シニアは好きなことを探し、やり続けることで幸せを掴む

平均年齢70歳のNPO団体のグループ定例会に参加してきた。このNPOで積極的に参加、活動しているシニアは自分の居場所を見つけたように発表や発言をしている。その姿は、水を得た魚のように見える。本来のシニアは、まさにこうありたい。現実は、ほんの一握りのシニアでしかいない。これが定年退職した高齢者の実態である。

会社組織を卒業してどこにも所属しないで一人になって老後の生活をしている高齢者は、社会での自分の居場所を探している。自分の居場所を自分で作れるシニアは幸せである。自分がやりたい事が分かっているからだ。やりたい事をやっている時が、一番幸せなはず。その実例が、このページでブログを書いている私である。

51歳で会社を辞めて起業した私は、今まで自分がやりたい事をずっと追求してきた。追求してピンチをチャンスに変えてきた。62歳になって、この生活が自分が求めたライフスタイルになっている事に気がついた!

シニアの体型を改善したければ、どうすれば良いか?

スポーツセンターのジムで筋トレをしているとシニア、高齢者、老人の体形を見ることが出来る。60歳代の男性や女性、70歳代、80歳代の人たちの体形は Out-of-Shape(体型が崩れている)である。運動を定期的にやっている人とやっていない人では、雰囲気が違う。肥満体のシニアならば、顔と腹を見ればすぐに分かる。とても、健康的な体であるという印象を周りの人に与えない。

体が細くなっている人は、風が吹けば飛びそうな風貌をしている。手足に筋肉が少なく、骨と皮が目立つ。シニアの体は、気が付かないうちに少しづつ変貌して行っている。60歳代のシニアは、まだ、若い。若いから老化による体の変化に気が付きにくい。普通の生活では、特別な動作をしない限り老化による体の変化に気が付かない。

私が仕事で会う同年代のシニアからいつもこんなコメントを頂く。「あなたは、腹が出ていないねえ!」

孤独に陥りやすいシニア男性がやるべき事は?

女性は一般的にお喋りをしないと生きていけないほどお喋りをする。男性には、そのような欲求はない。老人ホームやデイサービス施設では、男性よりも女性が積極的に新しい老人に話しかけている。女性は、お喋りという習慣が社交性を高める。

男性は、話好きな人以外黙って孤独に甘んじている。一体どこでシニア男性たちは、孤独を癒やしているのだろうか。シニア男性たちは、共通の趣味があると仲間に成りやすい。典型的な趣味は、将棋、碁、麻雀だろう。勝負事の遊びに男たちは興奮する。

65歳の私は、将棋、碁、麻雀などの趣味を嗜んでいない。仕事がなければ、孤独の世界に埋もれるのは確かである。会社員時代は会社と家庭が私の居場所であった。独立してからは仕事場と家庭にスポーツジムが加わった。仕事ができなくなったらスポーツジムで暇をつぶす生活が中心にあるだろう。

遊び仲間がたくさんいれば、毎日違う遊び仲間と暇つぶしを事ができる。残念ながら、私にはそんな遊び仲間はいない。仕事仲間はいるが、遊び仲間にはならない。