介護施設のデイサービスの魅力(孤独な老人を助ける)

85歳の義母が変わってきた。転倒して背骨を圧迫骨折した。骨折は治ってきたが介護ベッドから離れられない。日増しに体力と食欲が減ってきていたのだが、試しにデイサービスに行かせた途端、元気になりだした。週2回で始めたデイサービスも今では週4回に回数を増やした。デイサービスが待ち遠しいといつも話してくれる。

一体、デイサービスで何が起きているのだろうか。

義母は、朝9時から午後17時頃までデイサービス施設で楽しい時間を過ごしている。デイサービスでは、健康体操や趣味のクラブ活動、昼寝、自由な時間などがあるらしい。何が彼女を元気にさせたのだろうか。

義父は義母のデイサービス好きに大喜びだ!

孤独な老人男性が仲間を作る方法

自分は孤独で友達が一人もいないシニア男性であると思っている人は、老いるに従って増えて行くのではないだろうか。私自身も友達と言える親しい間柄の友達はいないに等しい。長い付き合いが無いと親しい間柄を築けないからだ。

でも、

世の中は不思議である。友達と言わず、一緒に時間を共にする仲間であれば直ぐに作る事が出来る。待っていては作れない。自主的に自分が好む同好会、趣味のクラブ、勉強会、交流会に顔を出して居心地の良いグループを見つける事だ。時間と忍耐が求められるが可能である

今興味を持っている事を追求して行く先に仲間がいる!

孤独なシニアに生きがいを与えるには?

働けない、働く口が見つからない、生きている目的が見えない、伴侶が他界してつまらない生活をしているなどの問題を抱えた老人は、余生を楽しむ事を忘れがちになる。

余生を楽しむには、生き甲斐を見つける努力をする必要がある。生き甲斐は、ちょっとした事で生まれる事を知ってほしい!ちょっとした事をやり続ける事で生き甲斐が育っていく

ちょっとした事とは、・・・

都会生活をしていると地域での触れ合いがない・・・孤独につながる

今生活している大規模集合住宅に23年いる。私の元会社員生活を振り返ってみると、自宅のドアを開いて最寄りの駅まで歩く。会社で仕事をして夜に帰宅する。週末は家族でドライブ。外食。集合住宅でも自治会があるが毎日住んでいる人達と触れ合う場所や機会がない。

この23年間、私が知っている隣人は非常に限られている。

隣、上、下の住民を見かけるぐらいの触れ合いだ。マンション生活は、どこもこんな感じかもしれない。田舎育ちの私は、都会生活は便利だが寂しい感じを受ける。Face to Faceの触れ合いが住んでいる地域で確立できないからだ。23年間で住民たちと知り合える機会は、子どもたち経由だ。同学年の子供を持つ親たちと学校で出会い、クラブ活動で親交を深め、一緒にデイキャンプに出かける。子供を経由した住民との出会いは、触れ合うつながり規模が狭すぎる。

63歳になり、子どもたちが巣立ちし、子供経由で知り合えた住民との接点が少なくなる。幾つかの隣人は、23年間の間に引っ越しをした。新しい住民も入居してくるが会話をする機会はない。顔は見かけるけれども、どの部屋に住んでいるのか、どんな家族構成なのか、何年たっても分からない。

多くの人たちが大規模集合住宅で生活しているが、知らない人たちだらけだ。We are NOT ALONE but Lonely.である。この状態が年老いていくシニア夫婦に広がっている。

孤独死は都会に多いのでは?

ボランティア活動に対する素朴な疑問:仕事の質と責任範囲?

ボランティア活動をしている人たちを遠くから見ている。ビジネススマンの視点から見ると何らかの期待をするのが人間の欲求としてある。これだけ奉仕をしているのだから・・・と言った期待がないはずは無いと思わざるを得ない。

色々な人が色々なニーズや目的のためにボランティアをしている。その活動は自分のニーズを満たすためにある。社会奉仕活動は自己満足の世界ではないか。やりたくないことはやらない。ボランティア活動は強い動機付けがないと行動に移せない。いい加減な気持ちでは続かない。

2020Tokyoオリンピックのシティーボランティアに申し込んでいたが、キャンセルした。コロナワクチン接種が終わっていなかったためである。不特定多数の人と接する仕事はシニアにとってリスクが高い。ボランティアの仕事は好意によってなされるため責任範囲が曖昧になる。東京オリンピックで働いている人は人材派遣会社が派遣しているアルバイトとボランティアである。

有償で仕事を請け負うアルバイトと無償で労働を提供するボランティアでは責任の重さが違う。ボランティアとアルバイトは仕事をする上で意識が違う。仕事の質と責任の感じ方はアルバイトスタッフに重くのしかかる。ボランティアはその人の気質と動機づけの強さに寄る。

シニアの残り少ない時間、何に使えば良いのか?

自分の人生を楽しむとはどういうことだろうか。66歳になり会社を卒業して自分の仕事を作り、お金を稼ぎながら年金生活をしている。平日と週末の生活は会社員ほど制約がない。やりたいことをやれる生活になっている。妻の両親の介護経験から足の不自由が普通の生活を駄目にすることが分かる。それ故、健康寿命を伸ばすための筋トレが生活リズムの中で重要になる。

余生を楽しむための基盤は健康である。それも自分で自由に動き回れる体力にある。老化で身体は年齢とともにガタが来る。自家用車と同じで定期的なメンテナンスをやらないと快適なドライブが出来なくなる。60歳を過ぎれば自然に老後の生活を考え始める。生きていられる時間が限られてくるのを肌で感じ始める。

自分の残りの人生は後何年あるのだろうか。平均寿命は80歳だが、果たして80歳まで生きられるだろうかと。今は健康で不自由をしていないが、年齢が75歳近くになると肉体と精神面で老化による悪影響が表面化する。肉体面では歩行障害。精神面では「毎日が日曜日」症候群。

「最低、何歳までは生きて人生を楽しみたい」という希望で残りの人生の楽しみ方を考えるしか無いと思っている。

シニアのボランティア活動を始めるならば?

近くの公園で毎朝ゴミ拾いをしている老人がいる。通勤時によく見かける。誰も彼に依頼していないと思うが、自発的に公園を綺麗にしようとしている。自分がシニアになって、なぜ、彼がそのようなボランティア活動をしているのかが分かる。

社会は、老人を使い道のない厄介者のように取り扱う。年金で静かに暮らしてくれればそれで良いような。現実は、年金だけで生活が出来ないために生活保護を受けてしまう老人が多い。使い古しの人間だから何も期待していないというような雰囲気がある。

老人は社会で役に立ちたいと機会を探している 

ボランティア活動は、若い人よりもシニアが中心に行う時代が来ている。若いものが展開しているNPO団体への参加も一つの方法である。

なぜ、老人は直ぐに切れて大きな声で騒ぎ出すのか?

老人による問題が多くなってきている。電車の中や店舗で突然老人が切れる騒ぎがニュースになるほどだ。20年前に老人が切れるということでテレビニュースになった記憶はない。なぜ、今、こんな話題がテレビニュースとして取り上げられるのだろうか。

コロナ禍で電車はバスの中でマスクをしていないと老人の一部が過剰反応をしてマスクをしていない人を非難する言葉をかける。これも冷静になれない老人の特徴なのだろうか。

それとも単純に昔よりも今のほうが元気な老人が増えてきているからか?

元気な老人が増えているから切れるのか

老いてきたら自分が出来る社会貢献を探す!

シニアの社会貢献は、若い人たちが思っているような貢献活動ではない。シニアは、住んでいる生活園内で生き生きと地域の住民と交流するだけで社会貢献活動になる。

少子高齢化の社会は、シニアの人口増加に伴う社会負担(介護、医療、生活支援など)が重くのしかかる世界である。シニアのお世話をする人たちが多くなる。この労働は、GDPに貢献しないためコスト要因になる。

シニアから生まれる社会コストを軽減するには

定年退職後のシニアが情報難民になる理由?

86歳になる義母は、介護老人保健施設でリハビリを行っている。要介護5であるが、老健にお世話になって4ヶ月が立つ。最初は、ひどく、体が衰退していたが、2ヶ月後にはすごい回復ができて車椅子に乗れて動けるようになった。まだ、自分の足では立てないが体は確実に回復し始めている。

老健に義父、家内、私の3人で面会に行っているのだが、最近、義母からこんなことを聞くことが多くなった。

 「老健にいると話題が少ないの。食事時に話す内容が皆さんいつも同じなの。だから、話が面白くないのよ!」

老人全般に言えることだが、社会で発信されている情報は老人の耳に入ってくる量が少ない。老人が外部の情報に接するメディアは、主にテレビと新聞だ。今の世の中は、インターネット経由で発信される情報が多いし、最新情報になっている。その新しい情報メディアに繋がっていない老人は、時代に疎くなり始める。

老健では、新聞とテレビしか外部の情報に接することが出来ない。年齢的にスマホやインターネットを扱える老人たちではないので昔ながらの既存メディアしか情報は届かない。その上、老健に入居している老人たちが積極的に外部の情報を求める行動をしていない。与えられる情報しか受け取っていないのだ。