私は、長期的なボランティア活動をした経験が無い。短期間の活動はあるが、継続した記憶は無い。積極的にボランティア活動をしたいという強い思い入れがない。
ボランティアよりも仕事に時間とエネルギーを注ぎたいという気持ちが勝っている!
ボランティアよりも仕事に労力と時間を注ぎたいという気持ちが強いときは、自分の心に従うべきだ。偽善者のように自分の心を裏切って無理矢理ボランティアに自分を仕向けるのは受ける側も自分も不幸になる。
私の場合は、自分の仕事に負担がない範囲で経営支援NPOクラブでボランティア活動をしている。私のインターネットの知識や経験が生きる「場」が生まれたら支援をすると言った形の活動だ。仕事の延長線にある作業であれば、効率よく直ぐに支援が出来るからだ。
大きな災害が発生したときに救援ボランティアに出かける人たちがいる。そんなボランティア行動で出来る人たちは、強い思いがあるからそれが出来る。何をやるにしても雰囲気や観念だけで流されない。自分の心がそれをやれと言っている時、行動を起こすべきだろう。
隣百姓みたいな行動は、後で後悔する。
海で溺れている人を見つけて助けようとしたときに泳ぎに自信がない人が飛び込んで溺れ死ぬという事がある。助けなければならないのだけど、自分の力では助けられないという状態で人助けはやるべきではない。帰って、迷惑になる。
ボランティア活動も同じだ。助ける立場にいない人が無理して助けようとすると続かない。経済的に余裕が無い生活困窮者の老人たちが、出来る事は少ない。むしろ、SOSの信号を発信するべきだろう。ボランティアの基本は、株と同じで余裕資金がある人がやるべきだろう。何をやるにしてもコストがかかる。
貧乏人は、助けられる側にいる。
ボランティアは、困っている人が助けてと言っているときに行動を起こす活動ではないか。余計なお節介でボランティアをすべきなのだろうか。世の中には、色々な問題がある。衣食住で困っている母子家庭などは、永遠になくならないかもしれない。社会構造的に無くすのは今の日本では難しい。
最終的に戻ってくるのは、私が出来るボランティア活動とは?という問いである。
自分は、仕事の延長線上で出来るボランティアをやりたいと思っている。其れが一番自然に受け入れられるからだ。自分に正直になれ!
強い思い入れがあるボランティア活動であれば、やれる。そうでなければ、やらない方が良い。ボランティア活動は、団体に所属しなくても自分一人でも出来る。自分がやれることが明確であれば。
困っている隣人を見つけたら助ける。それだけの行為でもボランティア活動になる。やってあげた行為に報酬を求めない。その行為で困っている人が助かる。それだけのことだ。