60歳の今、自分の仕事で生計を立てている。もう、この生活で13年が過ぎた。仕事で忙しい時は、仕事に時間を取られるため他のことが頭にない。そのため、余分なことで頭を悩ますことは生まれない。
仕事で忙しい時期は何も問題はないが、老いて仕事から離れると生きていく上で後悔することが生まれてくる。
老いやって来る前にやりたい事をやるのが後悔しない老後
今は仕事がある。仕事に集中すれば良いのだが、いずれ仕事も出来なくなる年齢が来る。そんな時、老人たちは、今という時間をどのように楽しむのだろうか。私はまだそのステージに立っていないので分からない。「老いの生活と世界」は、老いてこないと分からない世界だ。分かっているのは、私よりも年を食っている老人たちだけだ。
老いの生活は未知の生活だ。 誰も教えてくれないし、同じ事が起きるというパターンがない。人ぞれぞれの「老いの生活」が待っている。老いの生活はその人の人生の最終成果を表現するのではないかと想像している。自分の人生をこう終えたいと思いが実現するかどうかだ。
健康な生活を送られればと言う前提条件で老いの生活を考える。
60歳の年齢で今の人生を見てみるととても今を楽しむという領域に入っていない。もう少し経済的な余裕がほしい。仕事の面でももう一つの柱がほしい。時間はある程度自由に使える。働く場所や制約で不自由はない。一人でビジネスをやっていると時々孤独を感じる。会社で同僚と会話するという楽しさはない。人恋しさが生まれたら、自分で求めなければ与えられない。
暇な時間が多くなればなるほど一人でビジネスをするマイナスな面が生まれてくる。暇な時間をいかに有効に使うかが一人で展開するビジネスマンの命題だ。それも60歳のシニアである。30歳代の起業家ではない。多くの元同僚は、定年退職で将来の老後に不安を覚え始めている。仕事が突然無くなり、何をやったら良いか分からなくなったからだ。
A Happy Retirement!なんてありはしない。
老いの生活は、自分自身の人生設計に依存する。60歳から死ぬまで何を目標に生きて行くか、何を楽しみとするか、何を生きがいとするかだ。シニアの生き方は、会社員を辞めた時に初めて意識する人が多い。私は、巷で自分の腕でビジネスをしている人の方が大企業の社長や幹部よりも優れていると思っている。
会社に雇われている人で自分は優れていると思っている人は、是非、独立してみて頂きたい!その時、本当の優秀さが分かる。組織の中の歯車がどんなに優秀でも歯車だけでは何も出来ない。組織を離れて自分一人になった時に初めて自分の人生への挑戦が始まる。
会社組織の中で飼われて育った人ほど自分を雇ってくれる会社を探し続ける。本来は、自分の人生に挑戦すべき時にだ。組織に寄らないで自分の足で立って歩き出す。そんな出発点にいると言うことを悟っていない。
老いてくれば来るほど雇用される機会は激減していく。ある時点で気がつく。自分で自分を雇用するしかないと。それを悟るまで時間がかかりすぎると体力も意欲も挑戦するのに値しない状態になっている。こんな状態で今を見ながら今を楽しめるのだろうか。
最終的に老いは苦痛を伴う。体の自由がきかない、病気になりやすい、孤独になりやすい、生きがいを失い始める。こうなる前に今という時間を失うことなく楽しむしかない。楽しみは後に残しておけないのがシニアの立場だ。旅行を楽しみたければ行ける時に行く。やり残したことがあれば、今からそれをやる。会いたい人がいれば、今から会いに行く。全てが時間との競争になる。