後悔しない老いの生活、後悔する老後、どうしたら良いか?

69歳の今、自分の仕事で生計を立てている。もう、この生活で18年が過ぎた。仕事で忙しい時は、仕事に時間を取られるため他のことが頭にない。そのため、余分なことで頭を悩ますことは生まれない。

仕事で忙しい時期は何も問題はないが、老いて仕事から離れて生きていくと後悔することが生まれてくる。暇な時間が増えると暇な時間を満足が行くように使えなくなる。生活の糧を稼ぐ仕事は労働者の老後を左右する。好きな仕事、性に合っている仕事、楽しめる仕事であれば、その仕事を続けることに集中すれば良い。その仕事はあなたの生きがいになっている。

多くの労働者は生活費を稼ぐための目的で働き続けてきた。その過程で色々な苦痛と犠牲を味わっている。老後の生活は仕事という制約から解き放たされる。経済的に働く必要がないシニアはその自由から全く違った苦痛を体験することになる。働き続ける必要があるシニアも仕事を探し働き続けるための苦労を味わう。それに老いが加わる。

老いはすべての面で私達の老後にマイナス効果を与える。肉体的、精神的に老いは今までの生活習慣を変えさせる。そんな変化を先にわかっていればそれらに対応するための準備ができる。

後悔する老いの老後は事前に分かっていない老化現象に対する準備不足かもしれない。典型的な事例として老後の生活を楽しむために節約生活を送りお金を貯めたが、年齢が90歳になった時点でそのお金を使う用途を見いだせないで他界した老人である。お金には寿命がある。お金を使うことで得られる喜びを味わえる年齢と健康状態でなければならない。

老いがやって来る前にやりたい事をやるのが後悔しない老後

今は仕事がある。仕事に集中すれば良いのだが、いずれ仕事も出来なくなる年齢が来る。そんな時、老人たちは、今という時間をどのように楽しむのだろうか。私はまだそのステージに立っていないので分からない。「老いの生活と世界」は、老いてこないと分からない世界。分かっているのは私よりも年を食っている老人たちだけである。

老いの生活は未知の生活になる。 誰も教えてくれないし、同じ事が起きるというパターンもない。人ぞれぞれの「老いの生活」が待っている。老いの生活はその人の人生の最終成果を表現するのではないかと想像している。自分の人生をこう終えたいと思いが実現するかどうか。

健康的な生活を送れると言う前提条件

69歳の年齢で人生を見てみるととても今を楽しむという領域に入っていない。もう少し経済的な余裕がほしい。仕事の面でももう一つの柱がほしい。時間はある程度自由に使える。働く場所や制約で不自由はない。一人でビジネスをやっていると時々孤独を感じる。会社で同僚と会話するという楽しさはない。人恋しさが生まれたら、自分で求めなければ与えられない。個人事業主の老後は良い面と悪い面がある。

個人事業主の老後には定年がない。ビジネスを閉じたい時に閉じられる。但し、ビジネスを続けるには体力と健康を維持できないと始まらない。体が資本である。それ以外は大きなメリットを享受できる。自分の裁量でビジネス展開ができる。働き方でマイ・スタイルを作れる。仕事の仕方で時間や仕事場に左右されない労働環境を作れる。

多くの個人事業主は70歳の声を聞き始めるとビジネスを閉めてやりたかったことに残りの人生を費やす。仕事が生きがいになっているシニアはそのままその仕事を続ける。どちらにしても、キーポイントは健康と体力である。

不安を抱えながら老後の生活を迎える定年退職した会社員たち

世間で不安を煽っている老後のニュース記事が多い。65歳以上のシニアで年金収入だけとか、老人ホームに入居するための貯蓄がないとか、お金にまつわる話題が多い。老後の不安は残された人生の時間をどのように使えばその人の人生をより充実した物にできるかどうかではないか。どんなにお金があっても幸せは買えない。

定年退職した元会社員の人たちが直面する問題は、

  1. 次の就職場所や仕事探し
  2. 何歳まで働けるのか
  3. 仕事が見つからなければ何をして空いた時間を過ごすのか
  4. 病気や怪我などで働けない体と健康になったらどうするか

多くのシニアは望む就職先や仕事にありつけない。最終的にアルバイトやパートの仕事をしながら空いた時間を潰すことになる。アルバイトやパートの仕事も年齢制限がある。老いてくれば来るほど仕事で時間を使う部分が少なくなる。最終的に老後の生活の中で仕事が占める割合はほとんど無くなる。

残る問題は「暇」である。「暇」を有意義に使えるシニアは幸せを掴む。それが出来ない高齢者は「暇」に殺される。余生という時間を満足が行くように使えるかどうか。老後の生活を後悔しないようにするには「暇」な時間を有効に使う何かを持っていることである。

私の含めて70歳過ぎの老後の生活を想像できない。日中の時間を使う仕事がなければ何をすれば良いか分からない。趣味に毎日日中8時間を使えるのか。飽きてしまうのではないか。暇な時間が多くなればなるほどマイナスな面が生まれてくる。暇な時間をいかに有効に使うかが命題になる。

A Happy Retirement!なんてありはしない

老いの生活は自分自身の人生設計に依存する。69歳から死ぬまで何を目標に生きて行くか、何を楽しみとするか、何を生きがいとするかである。シニアの生き方を会社員を辞めた時に初めて意識する人が多い。

老いてくれば来るほど雇用される機会は激減していく。ある時点で他人に頼りながら働き続けることが無理である事に気づく。自分で自分を雇用するしかない残された道がないと。それを悟るまで時間がかかりすぎる。体力も意欲も挑戦するのに値しない状態になる。

定年退職がHappy Retirementであると誰が言ったのだろうか。単純に仕事をしなくても良い年齢になったよねということだろうか。経済的に問題がなくても精神的に問題を抱えるシニアが多い。仕事に縛られ続けた人生が終わった時、残されたものは自由という時間だけである。仕事のようにずっとやり続けられる何か(生きがい)があれば、問題がない。余生を充実した人生にするにはやりたいことを見つけるしか無い。

結論:楽しみは後に残しておけない

最終的に老いは苦痛を伴う。体の自由がきかない、病気になりやすい、孤独になりやすい、生きがいを失い始める。こうなる前に今という時間を失うことなく楽しむしかない。楽しみは後に残しておけないのがシニアの立場である。旅行を楽しみたければ行ける時に行く。やり残したことがあれば、今からそれをやる。会いたい人がいれば、今から会いに行く。全てが時間との競争になる。