62歳初老になると「自分の死」を意識し始める。夫婦二人の生活がこれからずっと送れるとは思えない。どちらかが人生の旅を終える時が来る。それまでは、一緒に人生という旅をすることになる。一緒にいる間は、出来るだけ楽しい時間をシェアしたいと思っている。
定年退職と同時に離婚する家庭がある。なんとも嘆かわしい!今までの結婚生活が苦痛であったのだろうか。良い巡り合いでなかったのだろうか。シニア離婚は、お互いにとって寂しい時間を過ごすことになる。その代償以上に離婚が幸せを呼ぶならば、致し方ないだろう。
人生を共に楽しむ人がいない人たちは、きっと、夫婦二人で一緒に旅をしている姿を見て羨ましいと感じるだろう。幸せが感じられる夫婦は、二人の笑顔を見るだけで幸せ感が伝わる。過ぎ去っていく時間を共有する間柄は、取り換えが出来ない。
人生の伴侶を大切にする
結婚して子供を授かり、子供を大人に育て上げ、独立させるまで夫婦二人の共同作業が続く。親としての義務を達成した後は、成長した子供たちを遠くから見守るだけだ。子供たちはもう自分の人生を歩み始めている。私たち夫婦は、残りの人生をどの様に過ごすかで幸せの感じ方が違ってくる。
体が老いてくると一人では生活が出来なくなる。老化現象は、二人で一人の人生に変えて行く。今まで出来た事が出来なくなるという老人独特の老化現象が身近に感じ始める。そんな状態に自分たちの体はなっていく。一人で生活をしている同年代の方は、この問題に一人で対処するしかない。どうするのだろうか?
現役を引退して社会から離れた生活を送り始めるとワイワイガヤガヤの生活が懐かしくなるはずだ。夫婦の間に会話がないという話を聞くが、我が家は会話がない日はない!お互いにくだらない事を話しながら、お互いを挑発している。
時々、幼児の世界に戻ったように感じる時がある。妻が遊び仲間になっているのだ。お互いを知り尽くしているので好きな事が言える。子供の時に遊び仲間がどんなに大切であったか思い出す。遊び仲間がいつも一緒にいるだけで毎日が楽しくなる。もう、子供たちはいないので変に大人ぶることもない。
妻も私も自分の世界を持っている。特定な事に時間を没頭させる生き甲斐を持っている。その息抜きに一緒に色々な事をして遊ぶ。夜の外食、平日のランチドライブ、春と秋の旅行、公園巡り、10キロ散歩などだ。
一緒に時間を過ごす事に面白さがあれば、場所はどこでも良い。重要なのは、一緒にいることで精神的な安定と充実感を味わえれば良いからだ。いつか、一緒にいられなくなることを考えれば、一緒にいられる時間を最大限に楽しむしかない。
お金で一緒にいられる時間を買えない!!
私の知人で先に他界した人はまだいない。まだ、60歳代だからだろう。身近に知っている人が亡くなると自分の命や寿命を意識し始める。70歳代、80歳代になれば、他界する知人が多くなるだろう。伴侶を失って一人暮らしを始める人たちも増えるだろう。
そんな一人暮らしの人が子供の家庭に入って孫を見ながら生活をしても寂しさから逃れられないかもしれない。一緒に遊べる遊び仲間が他界したからだ。夫婦は、お互いの遊び友達である。
一緒にいられる間は、思う存分に遊び友達として余生を楽しむことに限る。