家内に台所の戸棚の繋ぎの軸が緩んで外れたので直してくれと頼まれた。過去に何度か直していたのでやってみたのだが、うまくいかない。仕組みは同じなのだが、軸の外れ方が違っていた。10分ぐらい格闘したが、うまく行かずだんだんと頭に血が上ってきた。
「これはできない!!」と叫んだら、家内が台所をリフォームする家庭が増えている理由がわかったわと言い出した。なに、リフォームする資金も用意していないのに気軽にリフォームしたいなんて言うなと心のなかで思った。言葉に出したら喧嘩になるからだ。
ちょっとした事でも上手く行かなくなると感情的になる!老化現象なのだろうか・・・
台所の戸棚は、最終的に上手く直せた。2,3回深い深呼吸をして冷静に原因を考えてみたら、軸の取り付け方が間違っていた。それに気がついた。最初から冷静に原因と直し方のステップを考えていれば、感情的にならずに済んだ。ちょうど、仕事に出る矢先であったこともある。
お陰で指が油で汚れ、腰痛が起きた。今日こそは早く仕事に出かけようと思っていたのだが、この問題で30分以上も家を出る時間が遅れた。
61歳になって、物事を柔軟に見れなくなった。固定観念が頭に張り付いてきた。肩のこりと同じように凝り固まった筋肉やツボを和らげる必要がある。気が短くなると柔軟に物事を考える余裕がなくなる。
気が短くなり感情が高まりやすくなるシニア
電車の中で若者と老人が言い合っている場面を見かける。近くで言い合いの内容を聞いてみると電車内でのマナーが悪いということで老人が若者に注意していた。座り方が周りの人に迷惑な座り方をしていた。老人は、孫に注意するような感じで言ったのだろう。
我慢して、我慢して我慢の忍耐が切れた時に出てくる言葉だから、角が立つ言葉になりやすい。
私を含めて多少は我慢するのだが、時々、我慢の忍耐が切れることがある。我慢の忍耐は、思ったら直ぐに注意しないで我慢するところに原因がある。公衆道徳に反していれば、すぐに諭す。それが、高齢者になるとできない。諭す前に感情が高まって角が立つ言葉が出てしまう。
歩きスマホで駅の構内を歩いている若い学生を見ると非常に歩きにくい。時々、発作的にわざとぶつかってやろうかと思う時がある。歩きスマホをしている若者は何も悪いことをしているという認識がない。ごく自然なこととして自分がやっていることを正しいと思っている。
シニアにとって歩くスピードが妨げる歩きスマホユーザーは迷惑だ。見ているだけで注意したくなる。一般の人ならば、無視して避けて歩いて行くだろう。シニアは、迷惑な歩き方ということで感情が高まる。歩くマナーがなんていないと思い始める。
気にしなくて良いものを過剰に気にし始めるのは、老化現象なのだろうか。社会での価値観の違いがシニアの感情を害しているのだろうか。理解が出来ない場面に出くわすと頭にくるのは、精神的な忍耐力が落ちてきた証拠なのだろうか。
最近のスーパー(OKみなとみらい店)に導入されたレジでは、お金の支払を自動支払機で行う。その端末には、使い方について何も説明がない。始めてきたお客はレジで困惑してしまう。そんなお客が続出。多くがシニアのお客さんたちだ。若い人たちは、端末を見てすぐにやり方を推測して使い出す。
私も困惑した一人であった。今までOKストアーでは、支払いをレジ担当者がやっていた。自動支払機の導入でレジ担当者はただこちらの機械で支払いをしてくださいというだけだ。初めての人には、どこに紙幣やコインを入れるのかひと目で分かるようなナビゲーションメッセージが端末にない。そのため、レジで困惑してしまう。
やはり、最高のサービスは機械ではなく人間によるものだ。こんなことも頭にくる。ちょっとしたことであるが、61歳のシニアには頭にきて感情が高まる。