自分の伴侶と家族以外はどうしてもつながりが消えていく

死別と縁がない人は、会うことがない。死別は、永遠に会えないが縁がない人も同じかもしれない。会う意志がないからだ。いつも顔を合わせて会話をする関係が続く人はどうしても妻と家族になる。知人、友達、仕事仲間などは、環境が変われば消えて無くなる。

歳を取れば取るほど人間関係は薄れていく。これはどうしようもないのかもしれない。信頼関係は、長年助け合いながら生きてきた伴侶しか本当に作れない。私はそう思っている。相性が悪い伴侶であれば、違うかもしれない。定年離婚になるような伴侶も対象外だ。

赤ちゃんは生まれた時に両親がいる。老人が死ぬ時は大人になった子供がいる。

人生は、本当に縁がある人しか関係を続けられない。幼友達でも疎遠になれば、友達関係も薄れていく。関係を深めるのは、いつも近くにいる人達だけだ。縁が強い、深いからいつも自分の近くに居て見守ってくれる。両親が大人になった子供をいつまでも見守っているように!

縁の強さや深さは、運命の定めではないか。自分の人生は、運命の定めに従って決まっているのかもしれない。年老いてくると理性で物事を判断する、考えるよりも感性で自分の人生を判断したがる。老いて来ている体が精神に語ってくるからだ。

自分の周りに友達がいないと安心できない若者が多い。自分に自信があり、自分の人生を積極的に歩んでいこうとする若者は、孤独な活動をする傾向が強い。例えば、一人で世界旅行をするとか。連帯意識で何かを一緒に行うという依存心が少ない。

会社の同僚ほどその場しのぎの関係になる。たまたま、同じ職場で働いていただけだ。それ以上もそれ以下もない。定年退職をして組織を離れて行った同僚たちは、あまり縁がない。たまに偶然にどこかで会えば、それで良いような関係だ。人生の行き先が違う

自分の夢に向かって生きている人は、出会う人たちとの関係よりも夢の達成に生き甲斐を持つ。自分の夢から外れた人たちは、自然とどこかに消えて行く。夢がない人たちは、独りぼっちが嫌なために昔の同僚、知人、友人に会おうとする。同じ心境な人は会ってくれる。

自分の夢に向かっている人は関心がないので会うことを断る。会う人は、自分の夢を達成する道にいる人だけだ。この心理を理解している人ならば、孤独になっても孤独を嫌がらない。人間は一人で生まれ、一人で死んでいくからだ。友達と一緒に生まれてこない。いつも、何をやるにしても人生は一人でアクションを取る。

Facebookで昔の友達や同僚とつながるが会いたいとは思わない。会ってどうするの?今自分がやっている事の延長線にその人がいなければ、会いたいという気持ちになれない。生きる目的がある人とそうでない人では、会う人が違う。

65歳を過ぎて年金生活をしている老人たちは、昔の仲間と群れる。寂しいからだ。暇だからだ。一緒に人生を愚痴る場がほしいからだ。私はそのような人たちとの縁はない。

友達が大勢いる人は幸せだという人がいるが、私はそう思わない。自分の人生という道を一緒に歩いてくれる人たちではないからだ。一緒に歩いてくれる人は、家内しかいない。友達ではない!