85歳まで普通の生活を自宅で過ごしたいシニア:自立度を維持しながらやりたいことをやる

今69歳の私は、老化の人生に向かっている。身体が老化する上で問題になるのは、何歳で「自立した普通の生活」が出来なくなるかである。健康寿命が72歳なのでそれを85歳まで伸ばす工夫が必要になる。

加齢に伴う自立度の変化を説明したデータがある。

約1割(10.9%)の人は80歳、90歳まで元気なまま自立度を維持できています。そして大多数の約7割(70.1%)は75歳頃から徐々に自立度が落ちていきます。”

(引用先:第6回 年を重ねると「健康状態」はどのように変化するのか

https://www.nissay.co.jp/enjoy/nagaiki/column/006.html

自立した普通の生活が出来なくなるシニアは75歳以降に増えてくる。私の目標は、85歳であるので後16年間を何とか普通の生活が出来るようにしなければならない。

仮に85歳まで自立した普通の生活を送れることにする。私に残された時間は、19年間である。この19年間を「我が人生に悔いはなし!」と言えるようにしたい。健康は誰もが気にする。朝起きて鏡に写った自分の顔や体を見る。老いた自分の顔と姿。ええっ!これが私の顔。老人の顔ではないか!老いは容赦なく自分たちの体で起きている。

75歳を過ぎて足腰の筋力が落ち、動く自由を失い始めると時間の問題で普通の生活が出来なくなる。元気な年齢のときに健康寿命を伸ばす努力と試行錯誤をしないといけない。私は週二回スポーツジムで筋トレをして健康と体力を維持できるように努力している。

シニアの恋愛はどこで探せるのか?

ときめき続けるシニアたち―――70代からの愛と恋」というYahooニュース記事を読んでいた。私たちの知らない世界でシニアたちは、シニア同士のテートを楽しんでいる。そのための出会いの機会を婚活サービスが提供し、それを利用して一緒に楽しく時間を過ごすシニアたちが増えている。

配偶者を失ったシニア同士がその寂しさと孤独から逃げるために新たな関係を出会いから築こうとしている。平均寿命が80歳を越している今、元気な高齢者が増えている。シニアの青春というものがあっても不思議ではない。

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私の周りには、まだ、シニア同士がデートをして余生を楽しんでいる知人や友人はいない。まだ、伴侶が生きているからだ。60歳代の夫婦は、親の介護に追われている。まだ若い。

シニアの青春は、没イチになった時に始まる。

生きがいで悩んでいるシニアは幸せ!食べていけないシニアが大勢いる

生きがいで悩んでいるシニアは、切羽詰まった状況にいない。毎日生きていくためにパートやアルバイトをして生きていかねばならないシニアたちが大勢いる。彼らが生きがいで悩んでいるシニアを見たならば、贅沢だと思うだろう。生きがいで悩む時間があれば、楽な生活が出来ている証拠になる。

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若者は人生の先輩から生き方を学ぶ:シニアの良さは人生経験にある

若い女の子たちが何やら悩んでいる。自分たちの将来はどうなるのだろうかと。不安定な時代が世の中の急激な変化の影響で生まれてきている。政府の年金制度は崩壊に向かい自分たちが年金を受け取る時期にはその存続が危ぶまれている。それなのに強制的に国民年金を納めなければならないという不条理だ。

far out 見えない将来

不安はつきない。将来は誰の目にも見えていない。見えていないから若者たちは特に悩む。自分の将来をどうすれば良いか。そんな時、人生経験が長いシニアに聞いてみることである。時代は変わっていても生き方においては何も違いはない。本質はいつも同じである。

私は独りよがりで頑固な性格であるため悩んだときに他の人に相談しないで事を判断してしまう人生を送ってきている。もし、相談すべき人がいたならば、もう少し良いビジネス経験をしていたかもしれない。人生の指導者がいる若者は求める目標に到達しやすい。自分一人ではわからないことだらけの将来であるからだ。人生の先輩からの助言は価値がある。

69歳シニア男性が誕生日に感じた事とは

69歳の誕生日を迎えて69歳という歳が信じられない。還暦を迎えてからもう9年が経過してしまった。肉体は筋トレで鍛えているが、肉体としての内臓機能は劣化している。持病の緑内障は、少しづつ視野を狭くしていっているのが分かる。視野を失うのが先か、他界するのが先かの競争である。

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子供と違って私の誕生日を祝ってくれるのは最愛の妻である。別に誕生日プレゼントをいただけるわけでもない。家内からのプレゼントは、私が大好きな家内のカレーライスを夕食時に作ってくれることだ。お腹を好きな食事で満腹にするだけで幸せになる。

今の所、物欲はない。足りている。老人にとって、高齢者にとって、シニアにとって、歳を1歳食う事をどう感じているのだろうか。